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あの日、私は未来をみたと思った。
仕事から帰ってきた母が機嫌が悪いとき、すぐに私と口論になる。
私たち母子の間には、口喧嘩なんて日常茶飯事。
喧嘩した後、母は必ず私を無視する。
一週間から二週間くらい私を無視し、お昼の弁当も作らない。
無視されている間、私はとにかく母を避けまくる。
が、食事時だけはどうしても避けきれない。
喧嘩してるとき、母は私と一切話しをしない。代わりに、私に向けられる言葉は嫌味の数々。
自分の愚痴を聞かされるのだ。もう堪ったものではない。
ここまで言っておいて何だが、私の母は良い母だと思う。
昨日なんかは、朝に弱い私のために栄養食品と、
寒がりな私のために金柑の蜂蜜漬けを買ってきてくれた。
感謝しているのだ。本当に、心から。
私をここまで育ててくれてありがとうと、いつか言いたいと思っている。
定番にも、私の夢はお嫁さんで、次点では親孝行をすることだ。
大人になって、私が変わったなら、母も私のことを誇ってくれるかもしれない。
いつか来る(と信じてる…)結婚式の日に、式場で両親に感謝の手紙を書きたいと思う。
あの日も、いつもと同じ。
口喧嘩をして、収まりがつかなくなった。
いつもと同じように喧嘩をして、何故かふと思ったのだ。
母と私が、本当の意味でわかり合える日なんて来ない。
そこまで考えたとき、涙が溢れた。
止まらないと思ったとき、私は二階に駆け上がった。
二階の私の部屋に閉じこもり、ベッドに潜りこみ、泣いた。
いつも、どうやって泣き止んでいたんだろうと、どうしてこんなに泣く必要があるのかと思った。
一時間どころではなかったように思う、ただただ泣き続けた。蛇口が外れたかのように。
だけど、この涙こそ、母と和解したいという、想いの強さそのものだったのかもしれない。
機嫌の良い母は好きだ。でも怖い。
いつ、その反動が起こるか知れない。
私と母は、多分『合わない』のだろう。
小学校の先生をしている母は、娘の私から見ても天職だなぁと思わせられる。
子どもたちから好かれ、授業ができないほどの問題児クラスをもたされても、
(それは並々ならぬ苦労をしただろうが、)すぐに子どもたちから慕われるようになる。
何の悩みもない母の、唯一の悩みは、私なんだそうだ。
そりゃあそうだと思うが、娘にこうもはっきり言うこと自体、おかしい……。
と、まあこんな風に、『親』である母には不満だらけだ。
『親』でなかったら、上手く付き合えてたかもしれない。
まあ、付き合う以前に、知り合うこともできないと思うが。
本当は、本当は凄くお互いを愛しているけれど、
一瞬、『合わない』とお互いが感じれば、物凄く憎く感じるときもある。
そんなときはもう、ただ、傷つけ合うことしかできない。
よくテレビでスピリチュアルだ、前世だって江原さんが言っているように、
遠い昔、前世に同じ時代に生きた人が傍にいるのだとしたら、
それは母ではないかと思っている。
前に私がそう言ったら、母も同意見らしかった。
そんなとき、やっぱりこう思うのだ。
素晴らしく、芸術的といえるほど、『合わない』。
どうしようもできない、そう思うし、私の未熟さがいけないのだと、
どうにかできるとも思う。
要は私が大人になればいいのだ。成長すればいい。
普段、母と一緒になって笑っているときは忘れている、
私の心の隅っこに住み着いた『母への恐れ』。
それは、私が大人になっても消えはしないだろう。
今も、両親のいる一階からは笑い声が聞こえている。
平凡で、普通の私の家族。
だけど。
私にとって苦痛でしかない口論は、これから先も、延々と続けられる。
私が結婚をして、この家を出て行く、その日まで。